チベット学問僧として生きた日本人:多田等観の生涯

チベット学問僧として生きた日本人:多田等観の生涯 高本康子 芙蓉書房出版(2012/2/9)
目次----------------------------------------------------------------
口絵


序章 多田等観が生きた時代
「入蔵者」多田等観     近代日本とチベット     「港っ子」多田等観


第1章 明治日本とチベット
チベットへの最初の視線     大陸の「志士」たち     仏教者の「入蔵熱」      能海寛の「チベット」     能海寛の挑戦     成田安輝とチベット     寺本婉雅とダライラマ13世     日本最初のチベット・ブーム     河口慧海の登場     河口のチベット体験     河口帰国後のセンセーション     能海寛横死報道     スヴェン・ヘディンの来日

第2章 チベット
大谷光瑞との出会い     チベット人たちとの生活     大谷光瑞大谷探検隊      大谷探検隊の活動      大谷探検隊チベット     日本出発       ヒマラヤ山麓にて     青木文教のラサ滞在

第3章 ラサでの生活
等観の入蔵     ダライラマ13世との再会      僧院での修学      日常生活      チベット各地への旅      ダライラマ13世との交流      チベットと日本の間で     ラサの日本人たち      等観と英国人      仏典をめぐって

第4章 帰国後の多田等観
帰国     大正期の仏教界とチベット      帰国後の進路      戦時期の「喇嘛教」      野元甚蔵と等観      西川一三、木村肥佐生の派遣

第5章 晩年の多田等観
戦後の等観    アメリカへ     広がる輪     日本山岳会マナスル登山      チベットの「証言者」     登山家たちとのかかわり     牧野文子とチベット     『チベット滞在記』の完成      花巻の人々との交流

終章 日本人と「多田等観」
故郷秋田での「発見」     現代日本と「多田等観」

多田等観研究の現在


あとがき


主要文献


関連年表

                                                                                                                              • -

 これから北村甫宛の等観書簡には、等観のアメリカ生活が、生き生きと写し込まれている。渡米直後は、万事順調とは言い難い状態であったようだ。新しい職場であるアジア研究所においても、その運営方針などに違和感を感じずにいられなかったようで、「組織して宣伝するにのは仲々うまいアノうち本当の事は何十分の一しかない(中略)実質に金をかけないで宣伝だけに金をかけます」(1952年2月12日消印)などという記述が、繰り返し見られる。また、「独居で淋しい」(1952年4月9日付)とも書かれている。