感染症の中国史 - 公衆衛生と東アジア

感染症の中国史 - 公衆衛生と東アジア 飯島渉 中央公論新社(2009/12/21)
目次----------------------------------------------------------------
はじめに


第1章 ペストの衝撃
1 ペストのグローバル化雲南・香港から世界へ
感染爆発     ペスト菌の発見     欧州のペストは中国起源か     広東省での流行     香港での感染爆発      満州への伝播     日本人医師団     ハワイ黒死病事件     天津の衛生改革―占領の衝撃     光緒新政と公衆衛生      奉天での制度化     上海―揺れる租界と華界     衛生の政治化


2 感染症の政治化―列強の思惑と国際ペスト会議
満州のペスト流行     シベリア鉄道と満鉄     ハルビンから長春へ―満州北部の流行     満鉄の対応      満州南部への拡大     奉天当局の対応     戸別検査の実施      山東苦労     首都北京でのペスト発生      清朝政府による対策の本格化     日本陰謀説     日清共同防疫機関      国際ペスト会議と政治化


第2章 近代中国と帝国日本モデル
1 公衆衛生の日本モデル―植民地台湾と租借地関東州
日本の衛生改革     横浜とペスト     衛生ナショナリズム     植民地台湾      国内制度の“輸出”と反発      軍陣医学―日清戦争感染症      台湾駐屯軍の感染症対策     後藤新平と「台湾統治救急案」     「衛生総督」高木友枝     保甲制度と医学校の設置     関東州の衛生行政      大連衛生組合      安済善堂      関東州でのペスト      管理される苦労      植民地医学・帝国医療


2 中華民国と「公衆衛生」
辛亥革命と衛生局設置      伝染病予防条例の制定      山西省のペストと閻錫山      中央防疫処設立と種痘の実施      北京公共衛生事務所      「公衆衛生」から「公共衛生」へ      国際標準化の圧力―国際連盟保健機関     極東伝染病情報局      中国「東方病夫」論      衛生行政のマスター・プラン      胡定安と社会医学      西洋医学中国医学      検疫権の回収


第3章 コレラマラリア・日本住血吸虫病
1 コレラ―19世紀の感染症
インドからの感染      交通網の整備とグローバル化      アヘン戦争とインド兵      水道の整備      海港検疫      検疫の政治学      1919年の流行     台湾と朝鮮     1919年の中国      各都市での状況      コレラと中国


2 台湾のマラリア―開発原病
マラリアとは何か      中国の流行地域      台湾出兵     日清戦争と「防蚊隊」     対策の展開      マラリア防遏規則      小泉丹と森下薫      映画『マラリア』     撲滅へ      ロールバックマラリア


3 日本住血吸虫病―毛沢東「瘟神を送る」
日本住血吸虫病とは何か      病名「日本」の由来      中国での流行      スチブナール     小宮義孝      中国共産党の対策      小宮ミッション       小宮の提言     大衆動員      「送瘟神」      植民地の学知―その継承と断絶


終章 中国社会と感染症
感染症の逆襲      人類史との関連      人口へのインパクト      流行の規模     国家医療      近代性の連鎖


主要参考文献


あとがき

                                                                                                                              • -

 中国国民党は西洋医学への傾斜を深めており、1930年5月「西医条例」を公布しました。この条例は20条からなり、西洋医学の医師に対してのみ医療行為を行う資格を明示します。25歳以上で、中国の国公立や私立の医学専門学校以上、教育部公認の国外の医学専門学校以上の学校を卒業した者、外国人で当該国の医師資格を持つ者が、医師試験あるいは検定に合格したのち医療行為を行うことができるとしたのです。この条例は、患者の治療記録の保存や感染症患者の診察、あるいは検死を行った場合の官庁への報告義務なども規定していました。
 中国医学の医師は、この動きに猛烈に反発しました。その結果、国民政府は1931年に中国医学の研究機関としての国医館を開設し、36年1月「中医条例」、同12月「修正中医条例」を公布し、中医試験に合格した者、中央政府あるいは市政府の発給した証明書を持つ者、中医学校を卒業した者、すでに5年以上の治療経験を有する者で25歳以上の者は、考試院が中医試験を実施するまでは、中医委員会の審査に合格すれば医療行為を行うことができるとしたのです。中国医学の国家による公認です。
 国民政府が推進した西洋医学を軸とする医療や衛生事業の制度化に対して、中国医学の医師が猛烈に反発し、中国医学を公認させたことは、現在でも中国で中国医学が大きな影響力を持っている理由のひとつです。けれども、これは単純な対立ではなく、西洋医学との融合を企図する中国医学の医師の登場や、「中医条例」の制定のかたちで、中国医学の制度化を実現したものと見ることができます。

ゆるゆり♪♪10話 ちっちゃい時のひまさくと撫子さん 婚姻届をお母さんからもらうも、漢字が読めず撫子さんに聞くひまさく 櫻子「お姉ちゃん教えて」 撫子さん「ここ、名前かくところ」「こっちが妻で、こっちが夫だよ」 櫻子「妻がいい!」 向日葵「妻がいい!」 撫子さん「じゃんけんしたらいいよ、勝ったほうが妻」 じゃんけんして負けちゃう向日葵は「おっと、いや〜」と泣き出してしまう、撫子さん「あらら」 櫻子「ひまちゃん、かわいそう」  ひらめいた櫻子「そうだっ! ひまちゃん、妻のところ書いていいよ」 向日葵「えっ?でも・・・」 櫻子「大丈夫っ!こうすれば」と、夫を塗りつぶし妻と書き換える 櫻子「2人とも妻っ!」