現代シリア・レバノンの政治構造 

現代シリア・レバノンの政治構造 青山弘之・末近浩太(著) 岩波書店(2009/2/10)
目次--------------------------------------------------------------------------------
序章 シリアとレバノンの政治構造
はじめに


第1節 政治構造とは?


第2節 シリアとレバノンの社会的特性―2つの国家における1つの人民


第3節 シリアの政治構造―権力の二層構造


第4節 レバノンの政治構造―垂直関係と水平関係


第5節 シリア・レバノン関係―ターイフ体制


第6節 実効支配の政治構造―権力の二元的構造


第7節 本書の構成


第Ⅰ部 ターイフ体制崩壊の序曲
第1章 ジュムルーキーヤの成立―1990年代半ば〜2000年代初め
はじめに
第1節 シリアにおける政治構造の再編
(1)古参と若手     (2)真の権力装置の掌握(第1期)     (3)古参と若手の融合(第2期)


第2節 実効支配の政治構造における変容
(1)親シリア派と反シリア派     (2)多元的布陣から単線的権威構造へ(第1期)     (3)新たなレバノン・ファイル運営(第2期)


終わりに


第2章 実効支配の終焉―2004年半ば〜2005年4月
はじめに
第1節 シリア・米国関係の変化(第1局面)
(1)友好的敵対から対立関係へ     (2)ブッシュ政権のバッシングとB.アサド政権の対応


第2節 ラッフード大統領任期延長問題(第2局面)
(1)シリアの失政     (2)レバノンにおける対立の激化


第3節 R.ハリーリー前首相暗殺事件の衝撃(第3局面)
(1)国連に夜シリア追及     (2)独立インティファーダ


終わりに


第Ⅱ部 権威主義の強化と民主主義の混乱

第3章 駐留シリア軍撤退後の国連の対応―2005年4月〜2006年7月
はじめに
第1節 シリア・バッシングの継続(第4局面)
(1)国連安保理決議第1559号をめぐって     (2)R.ハリーリー前首相暗殺事件をめぐって ①国連安保理決議第1595号に依拠したシリア・バッシング ②国連安保理決議第1636号に依拠したシリア・バッシング


第2節 親シリア派に対するバッシングの開始(第5局面)
(1)R.ハリーリー元首相暗殺事件をめぐって     (2)国連安保理決議第1559号をめぐって


終わりに


第4章 レバノン喪失後のシリア―2005年4月〜2006年7月
はじめに
第1節 反政府勢力の活性化と政権内の変化(第4局面)
(1)反政府勢力とは?     (2)第2次ダマスカスの春     (3)古参の完全排除と若手による権力独占(権力移譲の第3期)


第2節 ハッダーム外務担当副大統領の裏切り(第5局面)
(1)ハッダーム外務担当副大統領の経歴     (2)B.アサド政権との絶縁     (3)反政府運動への参加     (4)反政府勢力の反応


終わりに


第5章 シリア喪失後のレバノン―2005年4月〜2006年7月
はじめに
第1節 国民議会と内閣をめぐる政治力学
(1)国民議会選挙制度    (2)国民議会内での会派の結成、人事、組閣


第2節 第17期国民議会選挙とスィニューラ内閣発足(第4局面)
(1)選挙区改編の試み(選挙過程の第1段階)    (2)候補者リストの作成(選挙過程の第2段階)    (3)国民議会執行部人事とスィニューラ内閣組閣


第3節 隠された権力の担い手なき政治(第5局面)
(1)内政の麻痺     (2)国民対話会合


終わりに


第Ⅲ部 ターイフ体制の崩壊か,第二共和制の瓦解か


第6章 ヒズブッラーの台頭とレバノン紛争―2006年7〜8月
はじめに
第1節 ターイフ体制下のヒズブッラー ―「レバノン化」による勢力拡大
(1)内戦による政治組織の近代化と大衆政治の深化     (2)「レバノン化」による内政における台頭(1990年〜2000年5月)     (3)対イスラエル闘争の「リンケージ」戦略(2000年5月〜2004年8月)


第2節 パクス・シリアーナ後の権力の空白 —レバノン国家の「ヒズブッラー化」
(1)シリアとの戦略的パートナーシップの公然化(2000年5月〜2003年3月)     (2)国連安保理決議第1559号をめぐる共闘(第1〜3局面)     (3)レバノン国家の「ヒズブッラー化」(第4〜5局面)


第3節 レバノン紛争とその後(第6局面)
(1)二つの軍事作戦―「確かな約束」と「方向転換」     (2)停戦決議案をめぐる国際政治の攻防     (3)非ゼロサムゲーム    (4)「神の勝利」と戦後の政局


終わりに


第7章 反転攻勢がもたらしたさらなる内政麻痺―2006年9月〜2007年6月
はじめに
第1節 合意形成努力とその失敗
(1)「挙国一致内閣」をめぐる協議(2006年10〜11月上旬)     (2)3月8日勢力系閣僚の辞任(2006年11月中旬)


第2節 3月8日勢力による実力行使
(1)ピエール・ジュマイイル工業大臣暗殺事件     (2)倒閣のための座り込み(レバノン国民反政府運動第1段階、2006年12月)     (3)労働運動との連携(レバノン国民反政府運動第2段階、2007年1月初め)     (4)ゼネストレバノン国民反政府運動第3段階、2007年1月末)


第3節 レバノン内政問題の国際化の進展
(1)レバノン情勢安定化に向けた非欧米諸国による動き     (2)内なる外部―パレスチナ難民とイスラーム主義者     (3)国連憲章第7章に基づくレバノン特別法廷の設置準備の始動


終わりに


終章 シリアとレバノンの政治構造に何が起きたのか?


あとがき

参考文献

索引

                                                                                                                                                              • -

第2に「腐敗との闘い」の主導である。B.アサドの実質的な指導のもと、第1次ミールー内閣発足を機に本格化したこの運動では、マフムード・ズゥビー前首相(1987年〜2000年3月)をはじめとする元閣僚や高官の在任中の汚職が次々と摘発され、2000年5月21日にはズゥビー前首相が自殺に追い込まれた。またH.アサド大統領の死去直前の6月初めには、シハービー前参謀総長とハッダッーム外務担当副大統領が汚職を理由に粛清されるとの噂が広まった。だがこの運動は政権内の綱紀粛正を目的としておらず、B.アサド政権を支えてきた政府高官や官僚のほとんどが、程度の差こそあれ、職権を濫用し、脱税、密輸、公金横領などに関与してきたことが周知の事実であるなかで、この運動は、政権に長らく忠誠を尽くしてきた古参さえおが腐敗を口実に排除されることを知らしめるとともに、こうした排除を免れるにはH.アサド大統領の至上命令である権力移譲に誠心誠意寄与する必要があるというメッセージを伝えるねらいがあったと解釈できるのである。
[〜中略〜]
シリアにおけるジュムルーキーヤ(世襲共和制)確立過程において、メディアなどがもっとも詳しく報道したのは、この公職移譲過程だったことは周知の通りである。だが序章で述べた通り、権力の二層構造において重要なのは、名目的権力装置における公的な「地位」でなく、真の権力装置との関係を通じて非公式に得られる特別な「立場」である。この事実を踏まえた場合、第1期においてもっとも本質的なのは、H.アサド大統領死後の公職移譲ではなく、それを可能とした真の権力装置での権力移譲なのである。

シュタインズ・ゲート6話 電話連絡する鳳凰院凶真「おれだ、まずいことになった、いやっそうじゃない、8号機の情報が第3者に漏れた、ああわかってるなんとかするさ、場合によっては〜〜食い止める、機関に知られるわけにはいかっ?通話中にメールを送るな!」
機関が通りかかったら親指を隠せ。
格言「目立つと健康に悪い」


緋弾のアリア9話 理子「でも理子〜、ハーレムルートって嫌いなんだよねー」
ハーレムルートはどこでも難しい。僕はレキたんルートだけで大満足ですけども。