ファッションの社会学

ファッションの社会学―流行のメカニズムとイメージ フレデリック・モネイロン(著),北浦春香(翻訳) 白水社(2009/2/13)
お目ものーと

19世紀初めになると男性の衣装には技術の進歩や新古典主義的な美学が活かされるようになる。一般に理解されているのとは異なって、新古典主義的な美学は、女性のゆったりとしたドレスとハイヒールよりもむしろ男性の衣装のほうに大きな影響を及ぼして、男性の衣装は身体に制約を与えることなくそれに沿うものとなる。すみやかに公式な場での制服となったこうした男性の衣装に相当するものを手に入れられなかったため、女性は二次的な地位に甘んずることとなった。アン・ホランダーは、これ以降のファッションの歴史はすべて、女性の解放とともにあるとして、ワースから始まり、ポール・ポワレ、ココ・シャネル、イヴ・サン=ローランから現代までの婦人服の変遷を記述して、男性と同等の機能性の追求を追った。

「まず認識構造を変容させるとすれば、芸術は経験を形づくることはできない。」反対に、ファッションは、身体に直接に関わる―そのうえでしか本当には存在しない―ことで、「超越的な視線、凡庸な要約の場」を待たずに済ませている。そこでは、「超越的なものの有効性は、人間の目の気まぐれ、不注意、疲労、怠惰、要するに偶然性に(芸術の場合のように)委ねられてはいない」のだから、より直接的かつ確実に、モデルを提示することになるのだ。

西洋においては、ごく最近までイメージというものは何とはなく信頼されないところがあった。それが正確にはどういう意味で、こうした信頼の欠如の影響はどういったものかを論ずるとすれば、アヴェロエスを祖とする中世のアリストテレス哲学にまでさかのぼる必要があるというのは異論のないところだ。アヴェロエスは、「間接的思考の威信に抗して『直接的思考』を称賛し」、想像界とその媒介物のほぼ完全な消滅を引き起こし、合理主義に基礎を置く哲学的伝統を打ち立てた。
この伝統の哲学では、入れ替わり立ち替わり、イメージが持つ虚偽または誤りを導く性質が批判の的となり、感覚や情熱がイメージに与える影響が糾弾されることとなる。すでにプラトンは、「その基となるものを直接に参照し、真実と価値の基準となるイメージと、服従や習慣や順応を誘うがそれを実現しないイメージ」とを区別したが、これを汲んでルネサンス期や古典主義の時代には、マルブランシェやパスカルが、「人を欺く空間、見せかけの環境を作りだし、その外見が現実だと信じさせてしまうイメージの性質」について述べている。またカントなどは、人間を「知らぬ間に魅惑的な夢から幻覚状態に」陥らせるイメージの力によって、意識や理性が失われるとした。イメージは「誤った確信を導く」情動や感情を助けるとされ、さらにモンテーニュは、欲望の大きな力に屈服させてしまう想像力の悪行を指摘している。
哲学でのイメージに対する不信は、マックス・ウェーバーによれば、宗教改革を通じて、世界の呪術からの解放を追求し強化してきたが、こんにちそれが解かれつつある。それと並行して、現代の世界では技術の圧倒的進歩により写真や映画やテレビを通してイメージが優越的な立場に立つようになり、感覚的なものと知性的なものとの橋渡しとしてのイメージや想像の世界の名誉回復、認識論が、ガストン・バシュラールアンリ・コルバンミルチャ・エリアーデエドガール・モランジルベール・デュランらの手ですすめられた。こうした名誉回復は確かにまだまだ道なかなであるが、それでも、イメージの分析方法について充実した提示だ。少なくとも、新たな議論を立ち上げたとはいえる。イメージの文明となった西洋文明において、イメージの増殖が問いを提起しないわけがない。現実とイメージとの混同を招く、あるいは正確には現実がイメージに吸収されるとまでは考えないとしても、多くの人びとが、イメージの増殖は非常に憂慮すべき貧困化だと捉えている。

こうして、ここ数十年間のモードの特徴である両性的なものへの大きな流れは、身体的な性別へと行き着いたかのようだ。さらにいえば、身体的な性別が、この両性的なものへの流れを上手く利用して息を吹き返したかのようだ。しかし、男性の衣服の女性化と女性の衣服の男性化は、それだけでは男性や女性のアイデンティティーを決定づけることにはならなかった。

男性らしさが異性愛的な魅力にはなりえないということだった。なぜならやはり、衣服が定義する男性的なアイデンティティーとは、男性向けの魅力を持つ男らいさと、女性向けの魅力を持つ女らしさを育てるものだからである。

GA芸術科アートデザインクラス3巻 ファッションデザインの課題で悩み方々に聞くキサラギちゃんに、ナミコさん「というか如月はノダとも雅とも『アンテナ』が違うんだから丸々真似しても参考にならないと思うよ」 キサラギ「『アンテナ』」 ナミコさん「そう『アンテナ(感覚)』 例えばこの雑誌、二人で見てごらんよ」 ナミコさんはファッション誌を出し、見入る二人。野田ちゃん「この流れるようなデザインはいいね!」 キサラギ「そうですね・・・でも、これ洗濯するのは大変ですよねぇ・・・」 野田ちゃん「このブランド今回カーキが多いね、流行らせようとしてるのかナー」 キサラギ「モデルさんって、こんなに足細くて転ばないんでしょうか、ごはんちゃんと食べてますかねぇ」 ナミコさん「ほら どんどん周波数がズレていってる」
というように進行中の世界的な衣料流通は始まったばかり(100〜200年)であり手探りなのだ〜。
人間はそうは確かに変わらない部分もある。そらのおとしもの4話のどんな困難に合おうとそはらちゃんを助けるため―自身の好きを本能的に?それとも創造?―にパンツロボに向き合う智樹はかっこよすぎる。