コモロ諸島

コモロ諸島 エルヴェ・シャニュー(著)アリ・ハリブ(著)花渕馨也(翻訳) 白水社(2001/08)
目次--------------------------------------------------------------------------------
はじめに

第1章 自然環境
1 地質―火山性の起源


2 気候


3 水源


4 植生
(1)沿岸部    (2)中高地    (3)高地


5 動物相


6 各島の紹介
(1)グランドコモロ島    (2)モエリ島    (3)アンジュアン島    (4)マイヨット島


第2章 独立以前の歴史
1 植民地化以前
(1)古代    (2)シーラージの移住     (3)海上の関係    (4)マダガスカル人の移住


2 植民地化
(1)マイヨット島    (2)アンジュアン島    (3)モエリ島    (4)グランドコモロ島    (5)諸島の併合    (6)植民地大会社の時代


3 内政自治から独立へ(1961〜1975年)
(1)制度的改革    (2)政治的、社会的改革    (3)最終的段階


第3章 コモロ
1 民族の混淆


2 宗教の同一性


3 言語の同一性


4 文化の同一性
(1)口頭伝承    (2)音楽とダンス    (3)演劇    (4)遊び    (5)料理    (6)建物    (7)工芸    (8)古文書    (9)呪術的慣習    (10)法律    (11)伝統的慣習


5 海外移住民の団結


第4章 マイヨット島問題
1 マイヨット島分離主義の起源―遠因と争点


2 フランスの政策


3 国際的影響


4 県政への移管


5 解決の見通し


第5章 革命とその挫折
1 最初のクーデタ


2 アリ・ソワリヒの時代
(1)「国家の統合」    (2)「民主的革命」    (3)マジュンガの虐殺とシンガニの噴火    (4)「暗黒の時代」    (5)「経済的側面」


3 復興


第6章 低開発
1 危機的な人口問題
(1)一般的状況    (2)島の間での不均衡    (3)人口爆発


2 経済の全面的弱さ


3 産業の二分化
(1)伝統的部門    (2)近代的部門


4 経済的依存


5 インフラストラクチャーの不整備
(1)道路網    (2)海洋運輸    (3)空輸    (4)通信    (5)電気    (6)水道


6 諸機構の欠如
(1)保健    (2)教育    (3)行政    (4)財政


第7章 可能性と制限
1 農業の可能性
(1)食糧生産    (2)輸出品の生産


2 畜産業の可能性


3 工業の可能性


4 サービス産業の可能性


5 環境による制限


終わりに


訳者あとがき
本書について     ボブ・ドナール     アブダラ大統領暗殺     汚職と陰謀     ボブ・ドナールの再来     分離独立運動の激化     フランスへの回帰     軍事政権     「戦争の犬」への無罪判決     クーデタの島     本書の意義


参考文献

                                                                                                                                                              • -

1978年にマイヨット島で実施された住民投票は、国際法に基づいて1960年12月14日に提出された国連総会決議1514XY(しばしば「非植民地化憲章」と呼ばれるもの)に対する違反とされた。この声明は次のように明確に述べている。「一国家の領土統一を全面的にであれ、部分的にであれ、壊そうとするあらゆる行為は、国連憲章の原理や目的とは相容れないものである」(6条)。
たととえこの声明の法的効力について議論の余地があるにしても、国連総会は、植民地化された領土が、独立を達成した時には、植民地行政下における自らの国境を保持すると考えた。実際には統一が存在しなかったアフリカやアジアの国々の分裂を避けるためにこの原則を厳密に適用することや、民族的、宗教的、言語的、文化的に自然な統一性が見られ、それほど衝突を引き起こすようには見えないコモロに対して、この原則に背くことは逆説的である。
それゆえ、1975年11月12日のコモロの国連加盟では、明白に4つの島が含まれていた。2月6日以降、フランスはマイヨット島で準備されていた最初の住民投票に対する非難を回避するために、住民の自由意志決定の原則を引き合いに出し、安全保障理事会における拒否権を行使しなければならなかった。
国連総会は、各会期において、コモロの領土統一を支持し、きわめて穏やかにではあるが干渉を行った。たとえば1977年11月2日には、「正当で、公正な解決」を共同で見出すようにパリとモロニの代表を呼び寄せている。
アフリカ統一機構hsより断定的な態度で干渉した。会合において提出された解決案では、フランスによる「コモロの島であるマイヨット島の不法な占拠」が告発された。1977年9月、解決を検討するために、アフリカ統一機構は7カ国からなる特別委員会の会議をモロニで開いた。同様にアラブ諸国あるいはイスラム諸国における非同盟国の集まりでも、フランスに反対し、より慎重にその立場を非難する決議が出された。
これらの国際的議論のなかで、フランスはしばしば頑なで、狡猾な意志を示した。たとえば、海軍基地の建設がそうである。4つの島のなかで唯一マイヨット島は防衛面でめぐまれた停泊地であり、ジプチとレユニオンの間に位置しているため、インド洋におけるフランス海軍を支えるすぐれた「中継基地」となりうるのだ。
経済的理由もまた考えられる。マイヨット島の環礁は、諸島の全海域における漁業にとって必要な、生き餌のすぐれた供給地であり、破壊されやすい環境の保護地域になっているのだ。
これらの理由は明白であるが、より微妙で、より決定的な理由が存在したことを知らなければならない。最後の「フランス帝国の栄華」へのノスタルジックな執着がそれである。マイヨット島へのこだわりは、三色旗を見て自由の保護や繁栄のイメージを抱く人びとに対する、自然な共感に由来するのだ。また、国際的議論への対抗と同時に、ジスカール・デスタン大統領によって少し前に行われた一連の社会改革に対抗し、国会において古参親衛隊UDRが示した不平不満も関係している。マイヨット島問題は、明らかに、フランスの国内政治におけるちょっとした巻き返しの機会として利用されたのだ。
つまりは、この種の政治は入念に準備されたものであるというよりも、ほとんど偶然的に行われるものであり、その契約や決定に行為の統一性を見出すことはきわめて困難だと言わなければならない。

お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! ED『アリアリ未来☆』
「好きだから、好きなのに、わかんない・・・測定不能な気持ち   届けるよ、届いたら、どうなるの?アプローチは直球で   好きだけど、好きだから、困らせたい。トキメキ以上のリアリティー    飛び込んだなら(飛び込んだなら)経験はこれからなんです♪」