アルメニア近現代史―民族自決の果てに

アルメニア近現代史―民族自決の果てに 吉村貴之 東洋書店(2009/10)
目次--------------------------------------------------------------------------------
はじめに

第1章 アルメニア人社会の拡散と民族主義の芽生え
アルメニアの東西分割     アルメニア系知識人の系譜     アルメニア民族政党の成立


第2章 虐殺と革命、そして短い独立期
アルメニア人虐殺     ロシア革命と「第一共和国」の成立     オスマンアルメニア人エリートの活動とパリ講和会議     「モスクワ・アンカラ枢軸」の形成と「第1共和国」の消滅


第3章 ソヴィエト・アルメニアと在外同胞
共産党とダシュナク党との関係     国外でのダシュナク党の活動と民主自由党との関係     ソヴィエト政権と民主自由党の「接近」     「モスクワ・アンカラ枢軸」の展開とソヴィエト・アルメニア     ナゴルノ・カラバフをめぐる共産党内の議論とダシュナク党の「自主解散」     20年代以降のソヴィエト・アルメニアと在外同胞との関係     ナゴルノ・カラバフ問題の再燃


第4章 独立と試練
ナゴルノ・カラバフ問題の展開     テル=ペトロスィアン政権と在外同胞     コチャリアン政権とその後


アルメニア関連年表

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ところで、戦後のソヴィエト政権が在外コミュニティへ影響力をつよめると、在外の同胞社会の分裂を一層深める結果となった。その典型例が1956年2月にレバノンの首都ベイルート郊外にあるキリキア・カトリコス座におけるカトリコス選挙だった。
キリキア・カトリクスのザレフ1世が1953年に逝去してから4年近くもカトリクス選挙が延期されていた。これが親ダシュナク派のカトリコスの就任を恐れたソヴィエトの陰謀によるものとダシュナク党が批判したのを契機に、ダシュナク派の教会関係者とエチミアジン派の関係者が互いに不正行為の糾弾を始め、キリキアとエチミアジンカトリコス座の権威がどのような歴史的根拠に基づいているかをめぐって論争が再燃した。結局、キリキア・カトリコス座の選挙は親ダシュナク派のホレン1世の勝利に終わったが、エチミアジンカトリコス、ヴァズゲン1世がこの選挙結果を無効とするようレバノンの大統領に働きかけていたことが発覚し、アルメニア教会組織はキリキア派とエチミアジン派に完全に分裂することとなった。そのため、多くの親ダシュナク派の聖職者や親ダシュナク派の信徒たちがキリキア系の教会に再集結した。

とある魔術の禁書目録Ⅱ4話 インデックスさん「法の書の恐いところはね、解読法が100通り以上あることなの」
今週もオルソラはかわいかった。神裂さんも普段のかっこで十分満足です。