「地下鉄サリン事件」戦記―出動自衛隊指揮官の戦闘記録

「地下鉄サリン事件」戦記―出動自衛隊指揮官の戦闘記録 福山隆 光人社(2009/4/20)
目次--------------------------------------------------------------------------------

まえがき

第一章 第32普通科連隊
通化連隊とはどのような部隊か     普通化連隊長の内示     観閲行進      32連とはどんな連隊だったのか


第二章 大震災と防災訓練デモ
阪神・淡路大震災     後方競技会      キャピタル・レスキュー95

第三章 事件発生
嵐の前の静けさ−送別ゴルフコンペ     都内で毒物が撒かれた!−即座に帰隊を決心      連隊で急行する車中で     広がる疑問、募る不安


第四章 留守部隊の奮闘
総員非常呼集!     指揮所の設営


第五章 出動準備
指揮所に飛び込む     騒然とした指揮所で      情報幕僚の状況図      災害派遣計画の作成     派遣命令への二つの疑問     苛性ソーダの集積     「逐次戦闘加入」か「統一戦闘加入」か      「普化チーム」を編成     四個除染隊を編成      地下鉄サリン除染への出動準備


第六章 出陣
出陣式の訓示     出陣を見送る      陸幕運用課長との情報交換


第七章 除染現場の闘い
築地駅      日比谷駅〜後楽園      霞ヶ関駅〜松戸車庫      築地駅後楽園駅撮影記録      除染隊員たちの凱旋      除染隊解散式


第八章 幻の作戦計画
師団から届いた密封封筒      「最悪の事態」に備えた前代未聞の作戦計画      32連隊の対応策      何が起こっても不思議ではなかった      「オウム遊撃小隊」編成される     後日譚−カナリア部隊編成      オウムによるハニートラップ作戦


第九章 事件から得た戦訓
除染作戦の報告書     米生物・化学兵器テロの権威オルソン氏の話      教訓を生かす努力はなされたか−地下鉄サリン事件と9・11     生かされる教訓−東京都の例


資料1 「地下鉄サリン事件」の概要
資料2 神経剤とは何か−サリンを中心に
資料3 陸上自衛隊の化学科部隊

あとがき

                                                                                                                                                              • -

2尉の証言―
決して気が利いた名前だとは思わなかったが、ケージに取り付けた名札の下にはこんなキャッチコピーもつけた。
「僕はイサ王:僕が死んだら、状況開始!」
「僕はガス彦:僕が倒れる、マスクをつけて君は戦え!」
「私はショー子:あなたの代わりに、私が死にます」
「私はサリー:私が倒れたら、きっと仇をうって!」云々・・・・・
こんな感じだった。考えているうちにカナリアたちが可哀想になった・・・。
それがいきなり朝のテレビ番組で放映されてしまった。撮影の許可を出した記憶はないが、「サリン事件出動部隊」の取材ネタとしては面白かったのだろう。ついでに「フライデー」からも記事にされた。「自衛隊の“切り札”カナリア部隊を発見!」と。
面白おかしく記事にされ、連隊長や上級司令部からお叱りを受けたものだが、「化学特捜犬シロ」と併せて、「突撃化学偵察斥候や女子化学挺身隊のカナリアたち」は、私が“真剣に”考えたものだった。
幸いにも彼ら(彼女ら)に出動の機会は巡って来ず、対オウムの戦士として名を連ねたカナリアたちは、突撃化学偵察斥候等の任務を解かれ、それぞれ部隊の隊員たちにもらわれていき、幸せな日々を送ったという。

そらのおとしものフォルテ4話 学校の雪合戦が終わり、その凄まじさにアストレア「これがダウナーの合戦・・・」