パキスタン政治の混迷と司法―軍事政権の終焉と民政復活における司法部のプレゼンスをめぐって(情勢分析レポート No.13)

パキスタン政治の混迷と司法―軍事政権の終焉と民政復活における司法部のプレゼンスをめぐって(情勢分析レポートNo.13) 佐藤創 編 日本貿易振興機構アジア経済研究所(2010/04)
目次

略語および用語説明

エグゼクティブ・サマリー

第1章 パキスタン政治の混迷と司法
Ⅰ はじめに
Ⅱ ムシャッラフ軍政による司法への介入
ムシャッラフ軍事政権の誕生と司法との関係  第17次憲法改正
Ⅲ 司法の逆襲
チョードリーの職務停止  非常事態宣言とチョードリー解任  ムシャッラフの辞任とザルダーリー政権下の政治と司法  チョードリーの復職はいかにしてなったか
Ⅳ 結論
【注】
【参考文献】

第2章 1973年パキスタン憲法の改正と統治機構規定
Ⅰ はじめに
Ⅱ 1973年憲法
Ⅲ 1973年憲法の改正
(1) Z.A.ブットー政権時代  (2)ズィヤー・ウル・ハック政権時代  (3)憲法第58条2項b号にもとづく下院の解散  (4)1980年代後半以降  (5)ムシャッラフ政権以降
Ⅳ 現行の憲法上の統治機構規定
(1)大統領  (2)議会  (3)政府  (4)州  
Ⅴ おわりに
【注】
【参考文献】

第3章 パキスタンの司法制度と法システム
Ⅰ はじめに
パキスタンの法と司法
(1)西洋近代的法制  (2)宗教にもとづく法制
Ⅲ 司法制度
(1)最高裁判所 1-概要 2-管轄権 3-裁判官の任命  (2)高等裁判所  (3)国家司法政策(National Judicial Policy,2009)と司法の課題
Ⅳ おわりに
【注】
【参考文献】

第4章 パキスタンにおける戒厳令に関する司法判断
Ⅰ はじめに
Ⅱ 1956年憲法制定以前−「必要性(やむを得ざる事情)の法理」の起源−
戒厳令と司法判断
第1次戒厳令(1958年)と司法判断  第2次戒厳令(1969年)と司法判断  第3次戒厳令(1977年)と司法判断
Ⅳ 超憲法的「非常事態」と司法判断
1999年非常事態宣言と司法判断  2007年非常事態宣言と司法判断
Ⅴ おわりに
【注】
【参考文献】

第5章 パキスタンにおける公益訴訟の展開と司法権
Ⅰ はじめに
Ⅱ 公益訴訟とはなにか
パキスタンにおける公益訴訟の展開と司法権の拡大
1985年の戒厳令解除による1973年憲法復活  ベーナズィール・ブットー事件判決:公益訴訟の始まり(原告適格の緩和)  訴訟手続きと救済手段の柔軟化:レンガ産業債務労働事件  こんろ爆発事件と未成年収監事件:自らの発意による訴訟開始  まとめ
イスラーム化と公益訴訟
文民政権およびムシャッラフ政権による司法への介入
Ⅵ おわりに
【注】
【参考文献】

資料1 関連条文(試訳)

資料2 歴代最高裁長官一覧

あとがき

最後に、司法部は一般に認識されているように保守的であったのだろうか。たしかに、軍事政権が失脚してからの判断であるAsma Jilani事件判決とNadeem Ahmad事件判決を除けば、すべて時の軍事政権側を最高裁は支持してきた。ただし、憲法が破棄ないし停止されている場合であっても、また政権側の活動を正当化する判断を下している場合であっても、ほぼすべての判例いおいて、政権側の活動は司法審査に服すると主張している。このことを、司法の独立性を守る努力、したがって憲法の定める統治制度と基本権の保障を現実ならしめる努力とみれるか、自らの権限を守り拡大しようとする機関一般に存在する傾向としてみるか、あるいは両方の側面をもつものであろうかは諸説あろう。
パキスタンにおいては、覇権争いの場として、あるいは覇権争いを展開する主役の一機関として、司法部が存在するという事態には以上みてきたような制度的および歴史的背景がある。いいかえると、司法部には、政治に翻弄されながらも戒厳令や「非常事態」について重ねてきた判例や法理、すなわち経験があるということ自体、パキスタンの政治的状況を観察する上で看過できないポイントであろう。少なくとも、2005年以降の政権と司法部との対立は突然現れたものではなく、繰り返し変奏されてきたものなのである。

WORKING!!主題歌 SOMEONE ELSE 「瞳にずーんと異次元くりぬかれた(くりぬかれたら) 指毛そろりと本音をあばかれたら すすめー!! さびしさほろりの真ん中見抜かれたら(見抜かれちゃったら) こまたに切れ味さわやか立ち回れたら ウィンク飛ばしましょう♪」