中央アジアの朝鮮人―父祖の地を遠く離れて

中央アジアの朝鮮人―父祖の地を遠く離れて 半谷史郎(著)、岡奈津子(著) 東洋書店 (2006/06)
目次

はじめに
第1章 朝鮮半島からロシア極東へ
極東移住  朝鮮人受け入れ政策の時期区分  アムール総督府の設立以前(1864年〜1883年)  コルフ総督―移民政策の模索(1884年1893年)  ドゥホフスコイ総督とグロデコフ総督―移民奨励期(1893年〜1905年)  ウンテルベルゲル総督―黄禍論と日本の朝鮮支配(1906年〜1910年)  ゴンダッチ総督―政策の揺り戻しと第一次世界大戦(1911年〜1917年)

第2章 スターリンの民族政策
人口の推移  土地問題と国籍問題  幻の朝鮮人自治州  「国境をまたぐ民族の絆」への猜疑  強制移住  日本政府の反応

第3章 ロシア極東から中央アジア
中央アジアへの定着  北朝鮮での活躍  スターリン批判  ペレストロイカ時代

第4章 ソ連崩壊の朝鮮人社会
ソ連崩壊がもたらした変化  カザフスタン朝鮮人民族運動  「架け橋」としての朝鮮人  新たなアイデンティティ

おわりに―中央アジア朝鮮人として生きる

【読書案内】

第三章で触れたように、強制移住以降、半世紀の長きにわたって朝鮮語教育はほとんど行われてこなかった。ペレストロイカ期になってようやく、大学に朝鮮語学科が設立・復活され、学校や各種教室での朝鮮語教育も活発化したが、朝鮮語を理解する人の数は依然として少ない。1999年に実施されたカザフスタン国勢調査では、朝鮮人の99.7%がロシア語を、25.7%が朝鮮語を「自由に操る」ことができると答えた。しかし後者についていえば、朝鮮人自身が語る現状と、筆者が交流した多くの人たちの例を考えると、この数字はやや過大評価であるという印象を受ける。また、そもそも中央アジア朝鮮人が話す言葉は、朝鮮半島北部の方言をベースに独特の発展を経てきたもので、ソウルやピョンヤンで話される言葉とは異なっている。
サハリンでは朝鮮半島からの移住時期がより遅く、また民族学校が1960年代まで存続していたため、大陸系の朝鮮人よりも朝鮮語に堪能な人が少なくない。そのため中央アジアでも、通訳などとして活躍しているのはサハリン出身者が多いともいわれる。ただし最近では、韓国留学で言葉をマスターし、韓国企業に就職して高収入を得ている若者もいるそうだ。

なかなか面白い。