天下統一と朝鮮侵略

天下統一と朝鮮侵略 藤木久志 講談社(2005/10/8)
目次

学術文庫版のまえがき

序章 石山戦争から朝鮮侵略へ―はじめに
朝鮮日記  一向一揆の文字瓦  一向宗の侵略加担  本書の課題

第1章 石山戦争への道
一 信長と寺内
宿命の出会い  寺内の原像  加納寺内と楽市
二 信長軍団
故郷喪失  中世名主、尾張の孫一  信長機動隊  在地領主、稲葉彦六  緊張する信長軍
三 石山決起
百姓は王孫  三ヵ年牢籠  血判阿弥陀像の謎  法主の檄  濃尾の一揆状況  石山決起
四 将軍から天皇
勅命  中世の秋

第2章 東海・北国一揆
一 「川内」世界の解体
「川内」世界  信長の川内侵攻  ひろがる一揆状況  川内世界の解体  一揆終焉ののちに
二 国中一揆
住みにくき時代に  越前一揆  一揆の暗影  「一揆持ち」の理想  法主国のしめつけ  領主化する大坊主たち
三 一揆一揆
反大阪領国の抵抗  総決起、講衆の人々  一揆一揆をどうみるか
四 呪いの文字瓦
府中町は死骸ばかり  新帰参  文字瓦  天下、侍の冥加

第三章 石山炎上
一 石山とその裾野
天正四年、水上の御堂  石山論争  籠城と封じこめ  血染めの名号  石山の裾野
二 芸・紀・播州一揆
安芸の一揆水軍  雑賀一揆  紀州「川内」世界  いたずら・自由・わたくし  播州夢前川の御堂  内海一揆
三 大阪湾封鎖
九鬼水軍の登場  織田海軍  津国雑説  信長の危機感と勅命
四 勅命講和
勅命講和への道  惣赦免
五 石山炎上
顕如の大阪退城  内輪の乱  檄文のゆけえ  石山炎上

第4章 信長の都市、一揆の都市
一 楽市都市の創造
分国中、諸関停止  都の改造  楽市・楽座  新寺内町の創設  安土の楽市都市  楽座令への疑問
二 「大阪並み」の解体
貝塚寺内  芝地と町場  寺内をつくる人々  寺内特権  「大阪並み」の形成  「大阪並み」の崩壊  あらたな統一政策の形成

第5章 未完の天下
一 荘園の知行化
織田政権と荘園制  知行化・一職化  大名創出と一職  中間権益の調査統制  大和の城割りと検地
二 検地と百姓名主
百姓支配策の原型  越前検地  安治村の人々  生きのびた領主清六  洲荒・損免  重い陣夫・夫役
三 未完の「天下」
織田軍団パレード・御馬揃え  示威の底に  土着軍団の限界  国替えの原型  武篇道の基礎  宿老追放  地上の神の死

第6章 関白政権
一 「日本の治」を目ざして
五畿内錯乱  日本の治、この時に候  大阪築城  小牧対陣  秀吉軍団の骨格
二 一向一揆鎮圧
一揆の残火  北伊勢一揆  紀州への総出動  百姓持タル城の解体  天満の中島御堂  武士のツブテ
三 関白就任
関白秀吉  関白政権の機構  国分け・国替え  内儀と公儀
四 唐国までも
日本国から唐国まで  九州動員令と侵略計画  「日本の治」のからくり
五 関白の法
図帳照覧  天下の法度  百姓法  京枡と治水大権  関白法の本質

第7章 五畿内同前―九州
一 かくれ念仏への道
九州弓箭  博多再興のねらい  キリシタン大名の動員  植民帝国と宣教師  キリシタン禁制  神国と邪法  天下のさわり
三 国中一揆から刀狩令
五畿内同前の崩壊  国中一揆の起因  成政悪逆の真相  聚楽行幸  大仏造営の課役  刀狩りと海賊禁令

第8章 田舎と京儀
一 奥羽からみた関白
奥羽から都へ  天下一統への期待  奥州探題と関白  東国強硬派と宥和派  奉行の随一、石田三成
二 天下一統
宣戦布告  軍役体系の深化  妻子在京  統一軍団の配置  北条氏ほろぶ  奥羽から小田原へ  奥羽仕置への道
三 京儀への抵抗
奥州国分け  国人・百姓の合点を  奥羽検地  京儀を嫌い申す  錆鑓のたたかい  一揆一向宗アイヌ

第9章 侵略への道
一 西欧からの証言
イタリアからの証言  集権と分権  ドイツからの証言  多頭の怪物、民衆
二 国絵図と御前帳
天正19年  国図と御前帳  検地の集成と侵略態勢
三 太閤検地
検地と悲散  損免闘争  再検地  石高と兵  検地と農  検地のあとに
四 六十六ヶ国人掃
下克上凍結法の完成  村請への道  六十六ヶ国人掃

第10章 軍需態勢と東アジアの激動
一 侵略基地と太閤蔵入地
太閤蔵入地  金銀山の独占  九州蔵入地の激動  大名追放  蔵入地ち吏僚専制  政権解体への予兆
二 政商の群れ
軍需・豪商・城下町  博多・長崎・名護屋  侵略地の商人
三 宣教師の軍事計画
美しき葡萄園  武装する日本イエズス会  侵略への不安と期待  北京上洛

第11章 軍役と民衆
一 際限なき軍役
軍団編成  侵略と沖縄  侵略とアイヌ  本地惜しみ  軍役と民衆  心がけ次第  際限なき軍役  分権の強化
二 流言・反乱・脱走
あいつぐ流言  梅北一揆  欠落・走者  宣教師の侵略加担
三 田地あけ・走り・免
遠国の村から  西国の村から  豊後国あけ  失人と荒田  上様ご生国で石田三成領で  荒田没収令

第12章 侵略の果てに
一 抵抗と孤立
日本のつきあい  二村女の閣  民衆反乱  いろは強制  閑山島をたずねて  いまにのこる朝鮮年貢帳  義兵決起  戦場の商人たち
二 強制連行と鼻塚
奴隷商人の群れ  文化略奪  熊川をたずねて  降倭・逃倭  宣教師と奴隷売買  長崎平戸町人別帳  鼻数請取証
三 神国・公儀・王法
神国意識  百姓と公儀  一向宗の侵略加担と王法・仏法  南蛮来戦か  民岩おそるべし

年表

もはや佐竹氏の負いきれる限界をこえていた。
だが、このあいだに、常陸北隅の一戦国大名にすいなかった佐竹氏の分国支配は、飛躍的な強化をとげていった。天正一八年八月、かれが常陸一国と下野の一部とを保障された段階で、現実に佐竹氏の支配していた地域つまり当知行分は、まだおおよそ常陸北郡をわずかにこえるほどにすぎなかったのであるが。秀吉朱印状の獲得と同時に、その権威を背景として、今日の水戸以南に武力攻撃を加えて、江戸・大掾・鹿島など旧族を徹底的に追いほろぼし、広大な地域を佐竹氏の直轄下に接収してしまう強行策を果たし終えて、一九年三月には、江戸重通からうばい取った水戸城を新しい分国の支配中枢と定めていた。
豊臣政権から加えられる「際限なき軍役」は、佐竹氏が分国支配の強化を実現するための外圧にほかならなかった。「洞中のさしいだし帳」といわれた全領内の領主たちからの知行高の届出も、それを基礎とした「知行分の積」という知行高基準の軍役の割当ても、非領域の武力接収も、すべて「殿下様」を名とし、軍役の相違は「身上の安危」だと威嚇し「際限なき軍役」に対応することによって、はじめて実現することのできたものであった。
さらに「奥州御陣」におおいかぶせるようにして、「つくし陣」つまり名護屋集結に5000の軍役が課せられるや、義宣は水戸城中の老臣に指令して、鑓200挺の発注、年貢の確保、黄金の調達を厳命するとともに、「石田殿の衆を以てなわうち(縄打・検地)をさせられ下さるべく候。いまの年ぐ一ばいに」と、石田三成による検地の施行を内示していた。
検地と侵略との不可分なつながりが、ここにあらわに語られているのであるが、また大名佐竹氏自身、あらたにつくりだされた侵略態勢の緊張のもとで、中央権力直接の検地に「いまの年貢一倍に」という大きな期待をかけていたことも、また動かしがたい事実であろう。
太閤検地が、在地領主の土着性を掘り崩し、従属する小百姓たちまでをじかに検地帳に登録して、大名の直接支配下に名請人として法定することを目ざして強行され、それに抵抗するはげしい一揆が続発していることを、義宣はすでに「奥州御陣」として、その弾圧に出動あいているあいだにじかに見とどけていた以上、石田三成による自領の検地によるかれの内心の期待が、たんに年貢倍増にとどまるものでなかったことは、疑う余地もない。集権(豊臣政権)の強化は、分権(豊臣大名)の強化をもたらしたというヴァリ二アーノの証言は、まことに鋭く、事態の本質を衝いていたと断定してもよいであろう。

本書は織田信長が1553年に一向宗聖徳寺にて斎藤道三との歴史に残る会見から、オールジャパンが出来るまでを書き綴ったものです。かなり読み応えがあります。