シーア派―台頭するイスラーム少数派

シーア派―台頭するイスラーム少数派 桜井啓子 中央公論新社(2006/10)
お目ものーと
目次

まえがき
序章 台頭するシーア派
アメリカの「シーア派脅威論」 シーア派スンナ派 本書の視点
第一章 シーア派の成立
1 シーア派の起源―7世紀〜 シーア派の由来 預言者ムハンマドの死 四人の正統カリフ アリーの血を引く「イマーム」 フサインの悲劇 カルバラーの戦い 第四代、五代イマーム ウマイヤ朝からアッバース朝へ シーア派分裂と第六代イマーム 第七代から第十代までのイマーム 「隠れイマーム」 
2 「イマーム」不在の時代―9世紀〜 「イマーム」の不在 ウラマーの台頭 宗教税―フムス(五分の一税) 親シーア派政権の登場 シーア派法学の基礎―伝承集と法源学 モンゴル軍の襲来 学問隆盛の地、ヒッラ ティムールによる支配
3 シーア派独特の儀礼 「お家の人びと」 氾濫するイマーム肖像画 理想の指導者アリー 「殉教の王子」フサイン フサインのための追悼行進 殉教語り(ロウゼ・ハーニー) 殉教劇(ターズィイェ) イマーム埋葬地への「参詣」 「アーシューラー」とスンナ派 政治と宗教的儀礼の関係 
第二章 政治権力とシーア派
1 「国教化」への道―16世紀〜 サファヴィー教団 「シーア派国教宣言」 十二イマーム派の制度化 アラブ系ムジュタヒドとイラン系宗教層 アッバース一世の時代 ウスール学派対アフバール学派 サファヴィー朝末期の宗教勢力 
2 「最高権威」の誕生―19世紀〜 スンナ派王朝とシーア派ウラマー 墓廟四都市の「権力の空白」 マルジャア・アッ=タクリードの誕生 「最高権威」を頂点にした宗教組織 「最高権威」の選出方法 拠点都市、ナジャフ 宗教都市ナジャフの教育システム 部族単位でのシーア派改宗 タバコ・ボイコット運動 イラン立憲革命とウラマー 立憲革命支持から反対へ 
第3章 近代国家の成立とシーア派―20世紀〜
1 イラン―「イスラーム革命」への道程 近代国家との軋轢 パフラヴィー朝の樹立 西洋化とウラマー排除 イギリス・ソ連の占領下 石油国有化と反英デモ 「白色革命」への宗教界の反発 ホメイニーの登場 革命直前の社会 イラン・イスラーム革命 
2 イラクスンナ派支配への抵抗 第一次世界大戦後のイラク王国樹立 不安定な統合国家 王政崩壊 バアス党政権とスンナ派の権力独占 ダアワ党によるシーア派復興運動 バアス党政権による弾圧 ナジャフウラマー協会 政治と「最高権威」の関係 シーラーズィー家 マルジャイーヤ運動 ナジャフの衰退とコムの台頭 
3 アラブ諸国と南アジア―弾圧と抵抗 サウディアラビア ワッハーブ派による弾圧 サウディアラビアの建国 シーア派居住地域での石油発見 バハレーン―シーア派の島 クウェートシーア派の国政参加 レバノン―多宗教国家 貧困層の形成 ムーサー・サドルの人気と失踪 インド・パキスタン パキスタン建国と宗派対立 政権のシーア派政策 アフガニスタン 宗教戦争に敗北したハザラ 独立とシーア派 社会主義政権とソ連の介入
第4章 イラン・イスラーム革命と「革命の輸出」
1 イスラーム法学者の統治 「イスラーム法学者の統治」の制度化 「最高権威」統治の関係 「最高権威」間の意見対立 国家の介入 「革命の輸出」 「革命の輸出」の方法 
2 イラク―国家とシーア派の対決 イラク―バーキル・サドルの処刑 イランで創られたシーア派組織 シーア派か、国家か
3 「革命の輸出」に揺れるイスラーム諸国 サウディアラビア―差別のなかで カティーフの暴動 バハレーン―イスラーム革命の波及 シーア派封じ込め クウェートシーア派による攻撃 レバノン―アマルとヒズブ・アッラー パキスタンイラン革命政権への対抗 テロの横行 アフガニスタンソ連への抵抗 
第5章 ポスト・ホメイニーと多極化
1 イラン―「政教一致」の限界 ホメイニーの死 ホメイニー後の「最高権威」 「最高権威」の世代交代 変貌するイラン政治 ハータミー大統領の“改革・開放” 保守派の巻き返し 「政教一致」の行き詰まり 若者の宗教意識 政治に従属する宗教 
2 「湾岸戦争」とその余波 イラク南部のシーア派蜂起 湾岸戦争後の混乱 サウディアラビアの穏健化 レバノンの転機 パキスタンスンナ派との対立と共闘 アフガニスタンソ連撤退後 ターリバーンの登場と弾圧
3 「イラク戦争」とシーア派の内部抗争 サッダーム・フサイン政権の崩壊 台頭するムクタダー・サドル シーア派の内部抗争 新憲法の成立と不透明な先行き 
終章 シーア派の行方
コムから生まれた「イラン・モデル」 コムで学ぶ世界のシーア派 女性教育の拡充 「イラン・モデル」の限界 イランに対抗するナジャフ イラン離れ シーア派スンナ派の新たな時代
あとがき
主要参考文献
イスラーム王朝一覧表
歴代マルジャア・アッ=タクリード一覧
シーア派関連年表
事項索引
人名索引

第六代イマーム、ジャアファル・サーディクは、シーア派法学における重要な教義を説いた。その一つが、信仰隠蔽(タキーヤ)である。これは、自分や家族、シーア派の存続を脅かすような危機に直面した場合は、信仰を隠してもよいとす教義である。つまり信仰隠蔽を、シーア派を弾圧や迫害から守るための手段として正当化したのである。

大お隠れ時代を迎え、イマームイスラーム法に関わる法解釈を求めることができなくなったシーア派の間では、イマームに代わって誰が、何を典拠に、どのような方法で法を解釈するべきか議論されるようになった。シーア派ウラマーらは、イマームたちの言行(スンナ)も預言者の言行と同様に、イスラーム法学(フィクフ)の典拠つまり法源(ウスール)とみなし、イマームの言行を収集し編纂することで、その不在を補おうとした。その結果、一〇世紀から一一世紀にかけていわゆるシーア派の四大伝承集が完成した。

シーア派の広がりを確かめたくて、イラン、パキスタン、インド、バングラデシュ、タイなどを歩いてきた。これらの国々では、必ず宗教学院を訊ねることにしている。そこにいけば、イランの宗教学院でペルシア語を学んだ教師や学院生に出会えるからだ。

プリンセスラバー!op princess primp! 「同じ気持ち?確かめたい 震える声 目を閉じたままこの手さしだす 時間が止まるよ、さあ、どうなの?・・・あなたしだい だって私は全部伝えたでしょう♪」