ダルフールの通訳 ジェノサイドの目撃者

世界人権宣言採択記念本!!
お目ものーと
ダルフールの通訳 ジェノサイドの目撃者 ダウドハリ(著) 山内あゆ子(翻訳) ランダムハウス講談社 (2008/7/25)

 まもなくエジプトに戻されたが、そっちの刑務所は酷かった。一般的に刑務所というものが不潔で暗くて暴力に満ちているというのは、皆さんもたぶん耳にしたことがあるだろう。だがここの実態は、おそらくそんな想像を遥かに超えている。
 「カイロの刑務所じゃたくさんの人が死ぬんだよ」アスワンの老看守はそう言った。わざわざ教えてもらうまでもなかった。

サルタン(首長)は、王国のいくつかの地域を束ねるオムダ(部族長)と、一つ一つの村の面倒を見るシャイフ(村長)に、難民の世話を命じていた。
 たとえば北ダルフールには、こういうサルタンが五人いる。西ダルフールにも何人かいるし、南ダルフールにも数人、そしてチャドにもこのサルタンのような首長が何人かいる。古代ダルフール国家はこんな形で形成されていた。ダルフールはいまだに十六世紀と同じ形で成り立っているのだ。サルタンの地位は世襲制だが、オムダとシャイフは、それぞれの地域住民の尊敬を集める人をサルタンが任命する。投票は行わず、地域社会にぬきんでて貢献している人に対して周囲が示す敬意によって地域のリーダーを選ぶという、非常に異なる形の民主主義なのだ。票の集計はサルタンの胸三寸に納められる。

 少年たちがやたらと大きな声で話しているのに気がついた。そして、耳がよく聞こえないのだと分かった。わたし自身、子どもの頃携行式ロケット弾の襲撃に逢って、しばらく耳が駄目になっていたことを思い出した。

 朝になり、父の小屋でお茶を飲んだ(夫と妻は別々の小屋に住んでいる。結婚を長続きさせるコツだ)。

ダルフールでは、赤ん坊が生まれて数日、あるいは数週間が過ぎるまで名前は付けない。医者も薬もないこの土地では、たくさんの赤ん坊が死ぬからだ。生きられなかった赤ん坊は、この世に留まりたくなかった渡り鳥だとされる。だから、その魂がこの世に留まりたがっていることを確かめてから、子どもに名前を付けるのだ。

この少女たちや女性たちは(難民キャンプの)、料理の燃料にするために周辺の荒地から小枝を拾ってきていた。まもなく周辺には一本の木切れもなくなり、現地の部族を怒らせてしまった。やむを得ず彼女たちは、薪拾いのために、だんだんと遠くの危険な地域まで足を延ばすようになった。その結果、今や難民キャンプで薪を手に入れるためには、レイプされるのが通り相場になってしまった。男が薪拾いに行ったり、用心棒として付いてきてもらったりすれば、その男は殺されてしまう。だから女性や少女たちだけで小さなグループを作って出かけ、結果、地元の男たちにしょっちゅうレイプされる。これはダルフールでも同じだったが、そこでのレイプ犯はジャンジャウィードだ。そして次に女性が直面するのが、望まれない子どもの妊娠という悲劇だ。われわれを眺め、走り去る車の埃に目をしょぼつかせている少女や女性たちの表情は、そんなすべてを経てきた人のものだった。

ラクダの蹄には指紋と同じようにそれぞれに独特のひび割れや印があって、相当遠くまで行ってしまっても足跡を追うことができる

ラクダのミルクは素晴らしいデザートドリンクになる−量も豊富だし、ミルクとしては薄いので、砂嵐の後などはシャワーのように頭や腕にかけたりもする。悲しいことに、ラクダの肉は美味しく、しかも塩を使う必要もない。

三日間水を飲まないと、ロバは死んでしまう。ちなみにラクダの場合、何日も水なしで過ごすと体が萎んでくる。小さくなり、頭が垂れ下がって急に年取ったように見える。しかし、ひとたび水を飲ませ草を食べさせれば、ものの見事に復活し、再び強く大きく、若々しくなるのだ。だがロバにはそんな芸当は無理だ。

機は無事に目的地エルファシェル上空を飛んでいた。ここはわたしが高校時代までをすごした街、北ダルフールでもっとも悪名高い政府の監獄があるところだった。
着陸のための旋回に入ると、一人の指揮官がわれわれに、最近何か食べ物を与えられたかと聞いた。彼の考えていることが分かって、若い整備士とわたしは思わず笑ってしまった。つまり、ちゃんとしたもてなしをしなかったために、空中で災難に遭ったと思っているのだ。わたしは、このところほとんど何ももらっていないと答えた。着陸したらちゃんと食事させてやると指揮官は言った。ここには人をもてなすことについての厳しい決まり事がある。時折、ひょんなところでそれが顔をだすのだ。

兵士の中には、ヌバ出身者もいた。俺らの村の人間を殺すなんて、政府も馬鹿なことをしたよ、と彼らは言った。

飢饉についても理解しておかなければならない。気候変動はもはや一過性のものではなさそうだからだ。一九八〇年代半ば以降、家畜のためのほんの一握りの草、井戸に残ったわずかな水を巡って、アラブ遊牧民と、定住生活を送っていた土着のアフリカ部族民はより熾烈な争いをせざるを得なくなっていた。アラブ遊牧民はザガワの土地のより南方まで足を延ばしていった。ザガワ族の中にも、さらに南のマサリト続やフール族の土地にまで入り込む者も現れた。
気候変動によって部族間に軋轢が生じた。バシールは、以前飢饉のせいで大統領が権力の座を引きずり下ろされたことがあるのを知っている。実はダルフールの地下には、新鮮な水をたたえた巨大な水瓶がいくつもある。もし土着民をこの土地から追放できれば、ここにアラブ系農民を迎え入れ、大規模な農場を発展させられるはずだ。スーダンとエジプトは、アラブ系エジプト人に対して、事実上ダルフールおよびスーダン国内のその他の地域への流入を許す「四つの自由合意」という条約に調印した。もし水資源が賢明に使われ、一度に大量消費されるのでなじぇれば、新しく農地を作るのはいいことだろう。だがどうして、まずわれわれ土着の部族を故郷に戻し、それと並行してこうした農地を開発し、アラブ系農民を育成してはいけないのだろう? もし土着の人々がこの水資源を利用できれば、こうした農場や、そこで産出される食料が、必ずやスーダンを潤すに違いない。だが今それは許されてはいないのだ。
こうした動きがあった近年の間、アラブ系が牛耳る政府は、スーダン人としての国民のアイデンティティを犠牲にして、アラブ人としてのアイデンティティのみを助長してきた。何千年もの間、スーダンではアラブ人と土着のアフリカ人は仲良く共存してきた。わたしが子どもの頃も、お互いにテントや小屋を訪ねてはご馳走し合っていたものだ。長老間の話し合いで収まりのつかないいざこざがあれば、儀式的な闘いで決着をつける。闘いは、女性や子ども、年寄りに危害が及ばないように、村から遠く離れた場所で行われた。その上、アラブ人と土着のアフリカ人の間の結婚の例は非常に多く、誰がアラブ人なのかアフリカ人、ほとんど見分けがつかないほどだ。その上、少なくともダルフールの北半分ではほとんどの人がイスラム教徒だから、宗教的な違いもない。しかし、アラブ人の優越性が声高に主張され出したせいで、アラブ人と土着のアフリカ住民の気持ちに溝が生じ始めた。ルワンダでの事態を彷彿とさせる。
政府は、部族間の争いを長老同士の話合いで決着させる習慣を阻止するため、強硬な態度をとるようになった。争いを決着させるため、長老同士の話し合いの代わりに、アラブ人には武器と軍事支援が与えられた。政府の支持によってアラブ人が重武装を固める一方、スーダン中の非アラブ系住民はすべての武器を放棄するよう命じられ、命令に従わなければ破滅を余儀なくされると告げられた。一九八〇年代以降、ダルフールには多くの自動兵器が流入していた。リビアのムアンマル・カダフィ大佐が南方への侵攻を志してチャドを襲撃した折、ダルフールを中間準備地域として利用していたからだ。ダルフール住民は、アラブ人も非アラブ系アフリカ人も含めて交易にたけており、その結果多くの銃を入手することになった。推定5万丁とも言われるカラシニコフAK47、携行式ロケット弾ランチャー、M14ライフルが流入し、ダルフールに留まった。今後何が起きるか分からないことに不安を抱える村人たちは、武器を手放しはしなかった。
こうして火器を手にしていきり立った各ダルフール反政府組織は、政府によって新たに非アラブ系住民が追放されたのを契機に、ダルフールの独立を叫び始める。そして二〇〇三年四月二五日、反政府組織が指揮する三十三台のランドクルーザーが政府の軍事基地を襲撃、ダルフールの村々を襲っていた飛行機やヘリコプターを粉砕した。この報復として、バシール大統領は遂に戦争の犬たちを解き放った。アラブ系ジャンジャウィード武装集団に攻撃のゴーサインが下されたのだ。スーダン政府軍の戦車、機関銃を搭載した車両、数を増やした武装ヘリコプターや爆撃機を得て、今やアラブ人武装集団はアフリカ土着部族の村々を攻撃し、焼き払い始めた。攻撃は散発的ではなく、すべての村を破壊し、すべての人間を殺すべく、緻密に計算した組織的な方法で行われた。男性も、女性も、子どもたちも殺された。村のリーダーたちは、友達や子どもたちの目の前で生きたまま焼かれ、あるいは拷問され殺された。こどもたちは炎の中に投げ込まれた。井戸には子どもたちの死体が投げ込まれ、汚染された。こうして、政治面、環境面、文化面のすべておいて、ダルフールの集団虐殺のお膳立てが整った。この状況については、本書の第1章少年の日の光景の項に詳細を記している。
 ゲリラ組織とつき合う上で難しいのは、どのグループがどちら側に与しているかが、刻々と変わるということだ。スーダンの首都ハルツームのアラブ系政権−スーダンを牛耳っている政府−は、あるゲリラ組織に一時和平を約束したかと思うと、別の組織とも次々と同じ口先だけの約束を繰り返し、それによって非アラブ系住民同士の争いを続けさせる。政府は、野心に燃える隊長と取り引きする。戦闘が終結したらきっと政府が要職に取り立ててくれると信じるような輩だ。もちろん彼らは、たとえ殺されないとしても使い捨てだ。本来の目的から逸脱したこういう隊長たちは、他のゲリラ組織への攻撃を命じられたり、ときには人道組織の活動家や、停戦協定が順守されてるかどうか監視するため外国から派遣された部隊の殺害を命じられることさえある。そうすることによって大量殺戮が続けられ、ついにはこの地域から土着の人々がすべて消え去ることが狙いなのだ。ずっと後になれば、こんな見方が間違いだったことが分かるかもしれないが、少なくとも今ここにいる人の大半はこんな風に考えている。

遠く離れたとこでも面白い奴はいるのだと、安心というかなんというか、さっぱり思うのであった。