日本の戦争Q&A

日本の戦争Q&A―兵頭二十八軍学塾 兵頭 二十八 光人社 (2007/12)
キャッチーな題名ですが、歴史とかに疎い私は読み進むのがしんどかったです。本書は主に明治・大正・昭和初期、日本を席捲した重要思想・技術となったプロシア輸入「動員奇襲」について説明してます。面白いですよ。宣伝もかねてちょこっと一部を。

アメリカ合衆国戦略爆撃調査団(USSBS)は一九四六年に次のように批評してる。
米国は瞬時に最大限の動員体制に転じているのに、日本は、南方から石油とボーキサイトをもってくるという限定的な目標を追ったのみで、一九四二年まで、生産量に大変化がない。むしろ一九四〇年以前、一九四三年以降の方が大軍拡であった。
東条内閣の書記官長で、統制経済の専門家だった星野直樹も、日本の戦時経済はガダルカナル戦以後に始まったと証言している。
なんと一九四〇年から四一年にかけ、大型タンカーの建造がゼロである。一九四三年から最優先にしているが、とりかえしはつかなかった。いかに日本の指導部が短期戦しか頭になかったかは、自明である。
つまり、大東亜共栄園構想とはお題目にすぎなかった。日本の指導部は、対米戦争は二年以上は続かぬと、何の根拠もなく考え、二年以上かかりそうな計画はすべて、棚上げにして開戦したのだ。そのため一九四四年には、内地のコメすら尽きてしまった。

ついでにもう一個

さいわいなことに、昭和天皇は一九四六年の元旦に、近代日本の最初の憲法典であった「五箇条の御誓文」の全文をあらためて国民に与えた。
五箇条の御誓文」には、日本が近代国際法を遵奉する旨がうたわれている。昭和天皇は、米兵の銃剣下におかれている日本国民が厭でも呑んだふりをしなければならぬ、国際法違反のマッカーサー憲法の有効性を、予め否定しておいて下さったのである。
しかもまた、教育勅語(明治二三年)や大日本帝国憲法(明治二二年憲法)は、「五箇条の御誓文」よりも後からつくられた憲法典であるから、一九四六年元旦の勅定をもって、それらは廃止されたのである。
現在の日本には、成文憲法は、「五箇条の御誓文」以外ない。イギリス流の不文憲法の体制に近いものが、半ば、行われているのである。あとは、最高裁判所がこのことの確認を、なにかのついでに、すれば良い。
ジョン・ロックは、主権とは憲法制定権であると言った。憲法が主権を生み出すものではない。
マッカーサー憲法をあがめたてまつるということは、主権が米国にあることを意味する。偽憲法の無効が、堂々と内閣総理大臣によって宣言されたとき、日本は独立できるのである。

ってこんな感じです。今年も終わりますけども憲法問題はなかったことになっちゃいましたね。
あとフィリピンに関したとこも結構面白かったです。