予言 TBS放送

予言 2004 日本
人間は人間なのだその範囲でしか理解できないし存在しない。現代人の個体の量と多様性がいまある、進化は環境に最適化すると思うが、その進み具合は通常人が感じる時間と比較すると無いと考えても良いほど遅い、と思う。ただ人間は脳が凄いのであえて肉体と言う言葉を使えば、人の頭はその肉体の不都合を補い進化二乗の速度で人を進化させ地球を人間に対し最適化するまでなっちゃったのだ。そこでは必ずしも従来の人的あり方が人個々に対し最大の効用を生むとは限らなくなった事だ、比較として社会性昆虫が上げられると思う。ただあれは巣が単位で人の個々協力体とは結構違うといえば違うのだけど、その個々協力体の中心にあるものはそう変わらないと言うことでの相似なものはある、互いに見てるものは違うけども。どうでもいいか実際どうでもいい話なきがするし、そこで発展してく具体的に使える技術に対する倫理問題がでてくるのだろうな、残念なのがドラマも映画も輸入物が先駆け的なとこなのかな、こういう感じで作ってみようとか、そうしたことはもちろん肯定するしそういうものだと思う良い案にはのっかた方がもちろんよい、作らなきゃの人々にとって時間も無い中予算も通りやすいし物作りも進めやすい。引っかかる所が他地域と日本では違うことがあることがある、と思いながらもたぶんいやきっと大体一緒なんだろうけど。
この映画は面白い、テレビで同時上映してた感染も見たが面白かった。もしかすると日本はハードコアな事や真面目な説教はホラーでないと見に行く人はいないのかということだ、分かりきった事を確認してもしょうがないとはいいつつ普段の生活をしてればそんな面倒な思いをする映画は見ねーって話ではあり、それは当然だな、見世物小屋があったことを考えると、まっそんなものだろうと思う自分自身がそうだし。だがホラーは作品の性格上、そこらのタブーにはフリーハンドである、もちろん隠匿はたぶん注意され行われているが。
一応見て思った事を書いてるつもりが全然関係ない感じになっているのだが、真実の重さをこの作品は言ってるのでしょう、早刷り見ちゃった主人公の話。責任感のあるまともな狂人は悲惨な目にあうと、といってもあの状況だとボンクラですぐ順応する普通の日本人な私でも耐えられないと思う。一応最後は自己犠牲という高慢ちきなものでその者と見てる側も救われるのだけども。その落ちまでの間の「だからどうしろと」感は映画リングを見たときも感じた、結局今までの苦労はなんだったんだ〜な。それが人の限界と可能性なのだよね。超越者との対話かといえばまた違うし。
突き抜けてる感がある映画は「発狂する唇」なのか荒唐無稽でも、そのまま願望を上手に市場に乗りやすい表現でしてしまうとくだらないものを、やりたいだけじゃんに変えると面白くなる、でやりたいだけじゃんなんだけども、画的にも。