ルワンダ難民救援隊ザイール・ゴマの80日

お目ものーと
ルワンダ難民救援隊ザイール・ゴマの80日 [我が国最初の人道的国際救助活動]  神本光伸 内外出版; 初版版 (2007/4/25)

草木は日本にあるものとほぼ同じで、バナナだけは違和感を与えていた。野菜ではサヤエンドウ、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、タマネギ、ニンジンなどを見かけ、花ではコスモス、キョウチクトク、カンナを見かけた。竹藪もあちこちで見かけたので、住民に、タケノコを食べるのか、と訊いたら、あれはオランウータンが食べるものだ、と馬鹿にしたような顔つきをされ、次の言葉を出せずじまいになった。

英語圏の情報とフランス語圏の情報に落差があるような気がしていた。
頼みできるのはザイール軍かと思ったのだが、これが電話機も無線機も持たない軍隊で、給料さえ支給されていない軍隊とあっては、情報が的確に集まるか心配があった。

ところが七月になると難民が次々と訪れるようになりました。そしてアッとい間に二百万人もの難民がこのゴマに押し寄せたのです。人口二〇万人あまりのこのゴマにですよ。(マシャコ・ゴマ市長)

こうしてみると、あの手この手でザイール軍の歓心を買おうとしていたように思える。あまり気持ちの良いことではない。そのときの私の気持ちは、時代劇「水戸黄門」の中に登場する、悪徳代官にゴマをする「悪徳商人」そのものであった。自前で安全確保ができないのでプライドを捨て、信用できず頼りにならない相手にさえも、気を遣わねばならないのが現場の実態だった。隊員の命を預かる指揮官だからできたようなものだと今でも思ってる。

日本の国内では車を牽引する場合の最高速度は時速三十キロメートル/毎時と定められている。その速度以上にならないのだ。この危ういときに遵法精神を発揮してくれるとは・・・・・。親の心子知らずとはこのことだ。でも怒るに怒れない・・・・・。

NGOは、被災者に迅速に駆けつけ、より多くの被災者を助けるようにシステム設計がなされていると感じた。それ故フットワークを軽くするために、救援隊に比較して人員が数名から数十名と少なく、必要最小限の軽い装備を携行しているようである。このため宿泊・給食は現地で賄うことを前提とし、被災地に到着すると数日から二週間程度で展開を終え、迅速に救援活動を行うことが可能となっている。人員の少なさはローカルスタッフを積極的に雇用することで補っていた。THWの例で言えば所属人員の十倍ものの数の現地雇用を行っていた。装備や技術の不足は、より専門的なNGOや外国の軍隊などに依存することで補っているように思う。

所管が違うのに横やりを入れ贈呈式に参加する。公務員の論理から言えば相手は不愉快に決っている。でも外務省の職員は快く認めてくれた。ありがたかった。

要求する方はあくまでうまくいけばという程度の気持のようだ。ゴマには「ダメもと」で要求するルールが存在していたように思う。

車両事故についてアネチョ大佐及びザイール軍に届け出たが、梨の礫となってしまった。救援隊側に犯罪を捜査する権限がなく裁判機能を持たないことから、この種現地人との法的係争事案が発生した場合には全く対応できないことを認識させられた。このことは派遣先国が停戦になっていても現地の司法機関が機能していない場合には、自衛隊の安全確保がままならなくなることを示唆しているようんい思われる。

ムグンガキャンプで飲料水に毒物を入れようとした女性一名が捕まった。その女性はRPFのメンバーだという情報だった。RPFが謀略活動をやっているのだ。彼らの狙いは難民を支えている構造を破壊することにある。

「ところでキブ湖には魚はいないのか? 魚を釣ってそれを使えばいいじゃないか」
というと
「到着直後から魚釣りをやっているのですが、、まだ一匹も釣れないのです」

私は、撤収作業を開始した後に支援要請がきて、撤収作業に支障がでるのを最も心配した。このとき敵と交戦中の部隊が撤退するとき、あえて攻撃する場面があるのを思い出した。そうだ、これだ、これしかない。かくしてUNHCRに対する「救援活動の押売」はどうにか契約段階までたどりついた。

こういう活動を通じていえることは、「情報は自ら求めなければ得られないもの」という単純なことであった。そして情報の価値というのは立場、問題意識で変わるものであり、情報に関する感度が問題になるような気がした。最終日前日、幕僚からザイール兵二五名が増援に来ますのでそれで警備計画を作ります、という報告があったが、私は来ない場合を想定して計画を作るように指示した。そして増援は来なかった。

現在の自衛隊法は第九章に罰則規定を設けているが、一番厳しい防衛出動時においてさえ重大な命令違反者に対する罰則が、「七年以下の懲役又は禁こ」となっているに過ぎない。平時にはこの罰則規定は適用されず、危険な海外における国際貢献活動は平時の扱いとなっているから、せいぜい「行政処分(懲戒処分)」の範囲内で運用されているのが実情である。

これまでの話から極論すると、「指揮官には指揮権つまり命令権はあるが、部下には命令をきかない自由がある」というのが現場の実態なのである。採用された自衛官が、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」と服務の宣誓をやらされるのは、法的な枠組みの不備を倫理的に規制しよう、と先人達が苦し紛れに編み出した知恵、ある意味では無責任な知恵に過ぎないように思うのである。

小早川隆景みたいな人だな。